田内城

別名− 付近住所 鳥取県倉吉市巌城 現在 仏石山
2003/8/9 碑・案内板・模擬天守アリ 日本城郭大系


山名氏 田内城は、今を去ること650年、山名時氏公(12991371)約20年間の居城であった。公は清和源氏の名流で上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)の出身で全国66カ国の内12カ国を領し、六分一殿と称せられる程の隆盛を見た南北朝時代の知勇兼備の武将で侍所長官として幕政にも重きをなした。建武4年(1337)伯耆守護に任ぜられその治所としたのがこの仏石山頂に築いた田内城である。急峻な岩山で東の山裾には国府、小鴨の両川が流れて自然の堀となり、また水運にも利用されて城下町が発達し「見日千軒」といわれる程に繁栄した。時氏公の嫡子、師義公は打吹城を築いて、ここに治所を移したので当城は廃城となった。この遺跡は簡素で小規模な山城の元の形を今によく残しているが、当時の建物の姿は明らかでないので後世の諸城を参考として櫓風に造ったものである。